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路地裏探検隊 『life #90』


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西陣わんだぁ 〜 西陣のはじまり

 

BGM : A Presa / Azymuth


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相国寺の北に広がる静かな杜、上御霊神社。
その昔、京の都を恐怖に陥れた祟神、早良親王の鎮守杜であるこの場所は、
今僕が暮らしている西陣の謂われとなった場所。
 
 
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八代将軍足利義政の時代、有力守護大名である斯波家、
畠山家、細川家の三管領による宿老政治が確立していました。
 
 
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そのうちの一つ、畠山家では義就と政長の家督争いが激化し、義就は山名宗全の、
政長は細川勝元の庇護を受け、両者の対立はさらに大きくなりました。
 
 
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応仁元年正月二日、将軍義政は義就の守護職復帰を認め、政長は京を追放されます。
怒りの治まらない政長は万里小路の自邸に火を放ち、上御霊神社境内に陣を張りました。
 
 
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応仁の乱のはじまりです。
 
 
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山名宗全は自邸のある花の御所西側一帯に陣を張り、細川勝元は東側に陣を張りました。
それぞれ「西陣」「東陣」とよばれましたが、西陣は地名として残り、東陣は残りませんでした。
 
 
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山名宗全の自邸近くには、千利休の遺構、表千家不審菴があります。
 
 
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応仁の乱当時、この辺りには小川が流れており、百々橋という橋が架かっていました。
現在は暗渠となり、礎石が残るのみとなっていますが、その少し上にある本法寺の石橋が
当時の面影を残しています。
 
 
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この小さな石橋と同じくらいの大きさの百々橋で、応仁の乱で最も激しい争いが繰り広げられました。
 
 
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そしてこの百々橋が架けられていた小川が現在の小川通の由来となったのです。
 
 
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そして11年間に及んだ応仁の乱は京の都を焼き尽くし、やがて収束を迎えました。
このお堂は西陣の北西にある国宝千本釈迦堂。このお堂は応仁の戦火を免れ、当時の姿を今に留めています。
 
 
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では何故このお堂はあの戦火を免れたのか。
 
 
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実はこのお堂、山名宗全の祖父氏清所縁のものだったため、
両軍話し合いの結果、後の世に残されたのだとか。
 
 
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本日のTales of wonder、これにておしまい^^

 

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